つられた男   


<いどのそこ>

   
  突然このようなお手紙を差し上げて申し訳ありません。何も知らないあなたを驚かせ、不快な思いをさせてしまうのではないだろうか。こんなものを受け取っても困らせてしまうだけなのではないか。あなたが憤慨し、もしくは困惑し、悲嘆にくれる姿を想像し、何度筆を置いたことでしょう。しかしながら、どうしても自分の内に想いを留めておくことができず、かといって直接あなたに伝える勇気もなく、こうして一方的に気持ちを吐露する次第です。
  私はあなたのことが好きです。
  あなたはおそらく私を知らないでしょう。私はあなたと会話したことはおろか、まともに会ったことすらありません。あなたのことを何一つ知らないままこのような手紙を書いている私のことを、あなたは恥知らずだと呆れるかもしれません。決して信じてはいただけないかもしれません。
  それでも、私はあなたのことが好きです。
  あなたの姿を見つけたとき、なんて素敵な人なのだろう、この世の中にこんなにも素敵な人がいたなんて、と心が震えました。あなたには、他のどんな人にも負けない強い意志と、美しい魅力があります。あなたの美しさは、決して外見的なものではなく(もちろん、見た目も素敵ですが)、むしろ内から滲み出るものです。それはあなただけのもので、決して誰かが真似できるものではありません。あなたがそこにいるだけで、私には景色がまるで違って輝いて見えます。それ以来、気が付けばいつでも私の目はあなたを追っていました。鬱屈とした毎日を送っていた私に、あなたという存在が光をくれました。直接会話をしたこともないのに大げさな、と思われるかもしれませんが、私にはとても特別なことで、あなたには感謝してもしきれないことなのです。
  名前すら打ち明けられない臆病な私が、感謝こそすれ、あなたに何かを求めるなんておこがましいにも程があると自分でも思います。最初は、見ているだけで幸せでした。あなたがそこにいる景色を、時折偶然にながめることができればそれでよかったのです。しかし、あなたを目にするたび、あなたをより好きになるたびに、あなたのことを知りたい――、あなたがどんな方で、普段はどんな風に過ごしているのか、どんなことを嬉しいと感じるのか、そういった様々のことを知りたいと思い、気が付けばいつもあなたが歩く道であなたの姿を探したり、あなたと同じ電車の車両に乗ったり、あなたのクラスをこっそりと訪れたりして心をときめかせていました。そして、あなたのことを知れば知るほど、私のことを、あなたのことを本当に好きな私という存在がいるということを、知ってほしいと思ってしまったのです。あなたに私を好きになってほしいとか、何か特別なことをしてほしいわけではないのです。ただ、私のことを知ってもらいたくて手紙を出しました。全ては私のエゴです。
  ひょっとすると、この手紙はあなたに読まれることなく、ただ破り捨てられ忘れられてしまうかもしれません。矛盾するようですが、私はその方がいいかもしれないと思っています。この手紙を読んでも破り捨ててもそれはあなたの自由であり、このことで私があなたにご迷惑をかけるようなことは決して致しませんのでどうかご安心ください。どういう結果であれ、あなたとこうして文字で繋がれたことは私の誇りです。
  最後になりましたが、あなたにどう思われたとしても、あなたに出会えたことは、私にとって人生の幸いです。今までも、そしてこれからもそれは変わりません。
  ここまで読んでくださってありがとうございます。あなたの毎日があなたにとって幸せなものでありますよう願っています。
                                               

                                               




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